パンの塩分を減らせ――。そんな“お達し”が本場フランスで始まりました。
伝統とプライドの象徴であるバゲットに、国家ぐるみで“健康志向”のメスが入りつつあります。
「味がぼやける」「香りが死ぬ」と職人たちは悲鳴を上げながらも、時代にどう向き合っているのか。
これは海の向こうの話ではありません。日本のベーカリーにとっても、静かに迫ってくる現実かもしれません。

100gあたり1.4g──フランス政府が決めた“塩分の線引き”

2023年10月、フランスでは“バゲットの塩分濃度を100gあたり1.4g以下にする”という規制が施行されました。
これまでの上限は1.5g。わずか0.1gの違いに思えますが、これは「フランス人の1日あたり塩分摂取量の18%がバゲット由来」という衝撃的な統計を受けての国家的対策です。
フランス保健省は「国民の塩分摂取量を段階的に30%削減する」と明言し、その第一手がこのバゲット規制でした。
健康を守る――その理念は明快です。が、パン職人たちの現場からは、まったく別の声が聞こえてきました。
「これは、もはやバゲットじゃない」──伝統に抗う職人たち

「塩を減らした瞬間、香りが引っ込んだ」
「クラストの焼き色が弱くなった」
「お客さんに“味が薄くなった”と言われた」
…これはパリの複数のブーランジェから聞かれたリアルな声です。
フランスのパンは“塩”で味を引き締め、“塩”で発酵をコントロールし、“塩”で焼き色に深みを出す。塩分は、単なる栄養成分ではなく、パンの骨格を支える技術要素なのです。
それでも職人たちは、黙ってはいません。塩分量を抑えながらも美味しさを守るために、
発酵時間を見直す
酵母を変える
焼成温度の再調整を行う
など、日々改良を重ねています。
“伝統”を守るのではなく、“伝統”を“更新”し続ける――
この葛藤と挑戦が、いまフランスの現場で静かに進んでいるのです。
日本のベーカリーも“他人事”じゃない理由

「それって、ヨーロッパの話でしょ?」
と思った方へ。
実は、日本国内でも減塩志向は確実に進んでいます。厚生労働省の食事指針には「食塩の摂取量は男性7.5g未満、女性6.5g未満」と明記され、2024年春からは学校給食にも“減塩基準”の見直しが検討されています。
また、高齢者施設や病院食など、法人マーケットではすでに「減塩パン」の需要が高まっており、今後は一般消費者向けにも波及することが予想されます。
「美味しさ」と「健康志向」の両立は、日本でもすでに始まっているテーマなのです。

バゲットから塩が消え始めた――それは、伝統と健康のあいだで揺れるパン業界の“未来の話”ではなく、“現在進行形”の課題です。
フランスの現場からは、ルール変更に対しても技術で応えようとする職人たちの姿勢が伝わってきます。
「塩を減らす」ではなく、「塩を活かす」バランスとは何か。
日本のパン屋も、そろそろ自分たちの“塩”を見直す時期に来ているのかもしれません。
参照元
The Guardian(バゲットの塩分規制)
https://www.theguardian.com/food/2023/oct/14/the-french-are-having-a-tiff-about-salt-in-baguettes-and-i-totally-understand-why
Baking & Biscuit(フランス政府の施策詳細)
https://bakingbiscuit.com/france-lowers-salt-content-in-bread-recipes/
The Local(2023年10月のフランス国内施行内容)
https://www.thelocal.fr/20230927/what-changes-in-france-in-october-2023