鹿児島発パンで世界を魅了する情熱と挑戦
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上原 力
鹿児島県でパン屋「TAK BAGERIMEL」を営むオーナーシェフ。特にイタリアの伝統菓子パン「パネットーネ」の技術に磨きをかけ、日本代表として世界大会に出場した経歴を持つ。 地域の素材を活かしたパン作りや、地元とのつながりを大切にし、鹿児島のパン文化を広げることに尽力している。
変わらずに10年間愛され続けるパン屋
鹿児島の住宅街に漂うパンのいい香り。TAK BAGERI MELのパンを求め午前9時には6台停められるはずの駐車場がすでに満車になる。 店内へ続く列ができるほどの活気だ。
その理由は一目瞭然。店内に足を踏み入れると、美しい層が織りなすクロワッサンや、具材がこぼれんばかりに詰まった総菜パンが目に飛び込んでくる。 そのひとつひとつからは、職人の丁寧な仕事とこだわりが感じられる。
特に目を引くのがパネットーネ。長時間発酵を取り入れ、丁寧に焼き上げられたその味わいは、ふんわり軽やかでありながら、しっとりとした独特の食感が特徴だ。 店頭にはカット販売された手軽なサイズも並び、パネットーネに馴染みのないお客様でも手に取りやすい。
オーナーの上原力さんは、パネットーネ大会で日本代表に選ばれ、その技術力と情熱を世界に示した。 しかし、彼の実力はそれだけではない。 鹿児島という地を選び、地元の素材を活かしたパン作りを通じて、地域と深く結びつくことを目指している。 その背景には、幼少期を過ごした地元で自分のパン作りを思い切り表現したいという思いがあった。
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「まるで魔法のようだ」子供心に刻まれたパンつくりへの関心
パン職人を本格的に意識し始めたのは高校時代。
将来をどうするか悩む中、ふと思い出したのが小学生のときの授業での体験だった。
クラス全員でバターロールを作ったとき、小麦粉が生地となり、膨らんでいく様子に子供心ながら「魔法のようだ」と感じたと言う。 香ばしい匂いが教室に広がり、焼き上がりを待つワクワク感。「あの時の記憶が心の奥底に残っていた」と上原さんは語る。
この経験がきっかけとなり、「パンを作る側に立つのも面白いかもしれない」と感じ、パン職人の道を志すようになった。
ムッシュイワン小倉シェフとの出会い
専門学校を卒業後、上原さんは浅草のホテルで働く。
ここでの仕事は、限られた種類のパンを大量に作る環境だったため、同じ作業を繰り返すことで基礎技術を徹底的に学ぶことができた。
その3年後、「ムッシュイワン」の小倉孝樹社長に誘ってもらい、「ムッシュイワン」での修行を決めた。 ホテル時代とは違い、パンの種類も増え、上原さんにとってはホテル時代とは違うパン作りの幅を広げる絶好の環境へと飛び込むこととなった。
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技術と人間力を磨いた8年間
お店の新規オープンのタイミングでもあった「ムッシュイワン」での修行で、職人としての基礎や考え方を徹底的に学ぶことができた。
学生の時から何かにのめり込んだり、長続きするようなタイプではなかった上原さんだったが、厳しい修業期間の中でパン作りへの思いが強まっていった。
パンは自分を映す鏡のようで、体調や気分が優れない時、同じ材料・同じ環境でも、なぜか自身の感情に応えるように出来が変わってしまう。 それをどんな時も同じクオリティにコントロールできるまで極めたい、そんな思いが芽生えていた。
上原さんは8年という年月を「ムッシュイワン」で過ごし、最後は店長まで勤め上げた。 部下を持ち、お店の経営に触れることもあり人をコントロールすることの難しさも改めて学ぶことが出来たという。
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地元鹿児島で自分のお店を持つ
「30歳までには自分の店を持ちたい」。
その目標を胸に、上原さんは独立を決意した。東京での開業も考えたが、競争が激しく流行に左右されやすい環境ではなく、自分のペースで本当に作りたいパンを追求できる土地として、地元鹿児島を選んだ。
「鹿児島なら、地元の素材を活かしながら、自分のやりたいパン作りに専念できる」と確信しての決断だった。
しかし、鹿児島は東京に比べてパン食文化の土壌が異なり、特にハード系のパンは馴染みが薄かった。
上原さんは、やりたいことを実現するためには、地元の人々と一緒にパン文化を育てていく必要があると考え、理解していただけるまで根気強く提案を続けた。
例えば、ハード系のパンは薄くスライスしてサンドイッチとして提供するなど、店頭で食べ方を提案していった。これにより、徐々にお客様の信頼を得て、自分が目指すパン作りを広めていった。 石臼で挽いた小麦を独自にブレンドし、素材や製法にこだわったパンは次第に地元に受け入れられるようになった。
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イメージを覆されたパネットーネ
イタリアの伝統的な発酵菓子パンであるパネットーネ。フルーツの甘みと独特の風味が特徴。 長時間発酵が必要なこのパンは、高い技術と忍耐が求められる。 今ではTAK BAGERI MELの象徴ともいえるパネットーネだが、初めてその魅力に触れたのは4年前のことだった。
ある日、これまで抱いていた「ブリオッシュのようなもの」というイメージを覆すパネットーネに出会う。 その味、香り、そしてふわりと軽やかなのにしっとりとした食感に衝撃を受けた。 すぐに自分でも作りたいという情熱が湧き上がったという。
しかし、日本ではパネットーネの製法に関する情報がほとんどなく、海外のレシピ本を取り寄せ、自ら翻訳して試作を重ねた。 パネットーネ作りはとにかく時間がかかる上に、失敗を繰り返し試行錯誤を重ねた結果、完成までに1年以上を要した。
シンプルなパネットーネを形にした後、さらに挑戦が始まる。 多様なフレーバーを取り入れようと軽い気持ちで試作を始めたが、副材料が増えるごとに難易度も上がった。 そんな中、パネットーネの世界大会国内予選の存在を知り、挑戦を決意する。 試作を重ね、チョコレートのパネットーネを極限まで磨き上げた結果、日本代表の座を勝ち取った。
世界大会では、多くの経験と共に新たな衝撃を受けた。 「自分のレベルを再認識し、もっと上を目指したいと思えた」と語る上原さん。 さらなる探求を続け、次回の大会でのリベンジを誓いながら、挑戦の日々は続いている。
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【上原さんに聞いた】 商品が広告塔、看板商品の重要性
看板商品と呼べるような商品がなかった頃は、すべての商品が満遍なく売れているという感じでした。
出店してから広告を一切出さずに運営してきたので、開業して1~2年もすると、お客様がどうしても落ち着いてきてしまうタイミングが訪れます。 自分が思っている以上に、近所に住んでいる方でも「パン屋ができた」ということを知らないんですよね。 そこからまずはお店を知ってもらうところからスタートしました。
そのため、地域のイベントに出店するなど、地域に根差した地道な活動を続け、少しずつお客様に知っていただけるようになりました。
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その後、層の美しいクロワッサンを看板商品にしようと考え、何度も試作し販売を始めました。
このクロワッサンを販売したことでお客様が一気に増え、日商も倍程度に伸びました。今では、多いときには1日100個売れることもあります。 お客様がSNSに投稿してくださり、その投稿を見てまた新しいお客様が来てくださる。商品自体が広告塔として役割を果たしてくれています。
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さらに、クロワッサンのバリエーションを増やしたことでセットで購入してくださる方も増えました。 今ではこのクロワッサンが、パネットーネ同様に人気商品になっています。 商品が広がり、良いスパイラルが生まれていると感じています。
パネットーネを通じてお客様と向き合う
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パネットーネは、パンの中でも特に手間と時間がかかる商品です。 成形してからオーブンに入れるまで、約6時間。朝に仕込んでも焼きあがるのは夕方です。 その上、焼き上げまでに3~4日かけるため、一度の失敗が精神的にも大きなダメージになりました。 パネットーネ自体も大きいので、オーブンで焼く時間も約1時間ほど。 その間つい安心してしまい、その場で寝落ちして、焦がしてしまったこともありました。
それでも、試行錯誤を重ねた甲斐あって、日本代表として評価をいただけた後は、お客様からの反応が大きく変わりました。 「日本代表の味を食べてみたい」と訪れるお客様が増えたことで、他のパンも含めて全体の売れ行きが良くなったのを実感しています。
大会出場中はお店をお休みさせていただきましたが、再開後は地元のお客様が温かく迎えてくださり、たくさんの方が足を運んでくださいました。 地元の皆さんに支えられていることを改めて感じましたね。
これからは、さらに地域に溶け込むようなお店を目指していきたいです。朝、出勤前に店内でパッと食事を済ませるような、パンをもっと身近に楽しめる場所を作ることで、地元の生活に欠かせない存在になりたいと思っています。
TAK BAGERI – MEL(タック バゲリ メル)
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●所在地:鹿児島県鹿児島市武岡4丁目20−1
●立地:鹿児島本線「鹿児島中央駅」から車で10分
●開業年:2014年
●定休日:日曜日・月曜日
●従業員:5人(販売3人・製造2人)
●日商:15万
●オーブン台数:2台
●ミキサー台数:2台
●パンの種類:60種類
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